お盆休み3日目。
三重県多気町から熊野市に移動し、紀南エリアを代表する名所を回ることにしました。
先ず最初に向かったのは、鬼ヶ城です。
吉野熊野国立公園 鬼ヶ城
鬼ヶ城センター
かつて幾度となく訪れたことのある場所ですが、こうやって改めて鬼ヶ城を散策するのは久しぶりです。
昔は鬼ヶ城センターのような立派な建物はなく、季節により管理する人がいたりいなかったり、記憶は曖昧ですが、現在のような華やいだ雰囲気ではありませんでした。
2004年7月紀伊山地の霊場と参詣道の一部として世界遺産に登録されてからか、辺り一帯劇的に変化しました。
鬼ヶ城センター1階では地域の特産品を販売している他、カフェやテイクアウトコーナーもあり、2階と3階では異なったレストランを運営しています。
鬼ヶ城センター
- 所在地:〒519-4323 三重県熊野市木本町 木本町1835-7
- TEL:0597-89-1502
- 営業中時間:9時00~17時00
- 鬼ヶ城観光:無料
- 駐車場;有り/無料
鬼ヶ城について
熊野にある鬼ヶ城は国の名勝天然記念物に指定されており、昔から南紀州の奇景として知られています。
石英粗面岩からなる岬の崖が一段の高さ二~四メートルの六段からなる階段状をなし、数回にわたる急激な地盤の隆起のあとを残しています。
格段海に波蝕洞窟があり洞窟はいずれも入口の上端が鋭くとがり天井部には蜂の巣状の風蝕痕があり、床面は板のように平らな棚となっています。
獅子巌は鬼ヶ城の南方井戸川の河口に近い砂浜にあり、高さ約二五メートルの石英粗面岩塊であって、あたかも獅子が太陽に向かってほえる形をしています。いずれも土地の隆起と海蝕の現象を示す著しいものとして学術上価値が高い。
鬼ヶ城 石版より引用
鬼ヶ城の周回線歩道、千畳敷にあたる場所です。
千畳敷は鬼ヶ城一番の名所です。
鬼ヶ城の由来
鬼ヶ城は、海風蝕と数回の大地震で隆起した凝灰岩の大岩壁。東口から西口の弁天神社まで約1kmの間に大小無数の洞窟が階段状に並んだ奇岩奇勝で知られる名勝である。
その昔、桓武天皇(737~806)の頃、この地に隠れて、熊野の海を荒らし廻り、鬼と恐れられた海賊多蛾丸(たがまる)を、天皇の命を受けた坂上田村麻呂(751~811)が征伐したという。その伝説に基づいて鬼の岩屋と呼ばれたが、後に鬼ヶ城といわれるようになった。
黒潮回廊と神々の古郷 熊野市 縦看板より引用
海賊を征伐したことで鬼ヶ城と名が付いたとは、まさに伝説。
鬼ヶ城 周回線歩道を散策
鬼ヶ城は洞窟や奇岩には、それぞれ名前がついています。
千畳敷から始まり、奥の木戸・猿戻り・鬼の風呂桶・犬戻り・神楽岩・木喰岩・鰐岩・潮吹・鬼の見張場・飛渡り・水谷・鬼の洗濯場・蜂の巣・波切不動と続いています。
人一人がやっと通れるほどの周回線歩道は、断崖絶壁に沿った形状で上ったり下りたりのくり返し。人とすれ違うときにはどちらか一方が待って譲らなければなりません。また後から人が追いついて来た場合にも同じで、焦らず譲ったほうが賢明です。
魔見ヶ島(マブリカ)
鬼ヶ城の至る場所から見える島は、魔見(まみる)ヶ島という鬼ヶ城の沖合い1.5kmに浮かぶ無人島です。
地元ではマブリカと呼ばれ磯釣りやダイビングの人気スポットになっています。
夏の厳しい暑さには、険しい道のり
先へ進めば進むほど、ますます上り下りが激しく険しい道のりです。
空は快晴、波も穏やかですが、日差しがきつく暑さは最高潮。しかも終点まではまだまだです。
前に歩いていた人もいなくなり、我々もそろそろ引き返すべきか
木喰岩で引き返す
結局のところへタレ夫婦は、半分にも満たない場所で引き返しました。
木喰岩までやって来たという証拠の写真です。
鬼ヶ城散策を終えて
夫も私も二人して額も背中も汗だく。クーラーの効いた鬼ヶ城センターに逃げ込みました。やや汗が引いてきたところで、店内を見て回りにいひめちゃんを購入して一気飲み。
にいひめちゃんとは、ハチミツと熊野市特産品の新姫から作った柑橘系ドリンクです。
あまりの暑さに最後まで散策できなかったことは残念ですが、もう少し涼しい時期に再チャレンジしたいものです。
旅の記録:2017年8月